テレホンセックスを通して青春を体現するということ

テレホンセックスを通して青春を体現するということ

テレホンセックスを通して青春を体現するということ

テレホンセックスは絶対に完成することがないというところに最大の魅力があるということができるでしょう。

もし「いや、テレホンセックスを完成させることはできる。実際に自分はテレホンセックスを完成させたのだ」というような人がいるとするならば、その人のテレホンセックスは、その人の自信に対しては申し訳ない言い方になりますが、おそらく、その人にとっての「完成地点」をピークにして衰弱して、じわじわと死んで腐っていくテレホンセックスになっていくことを避けられないでしょう。

もっと厳しい言葉を使うならば「あんまりテレホンセックスというものを甘く見ないほうがいい」とも言いたくなります。

テレホンセックスの恐ろしさは、「世界レベルのテレホンセックスプレイヤーであっても、相手となる女性との相性によって、赤子同然のテレホンセックススキルにまで能力を落とされ手も足も出ないことがある」というところにあり、およそ、テレホンセックスをある程度プレイしたベテランのテレホンセックスプレイヤーであればあるほど、この恐ろしさを身にしみて知っているはずです。

もし、「自分の築き上げてきたテレホンセックステクニックやテレホンセックス理論などが一切通用しない」という危機に陥ったことがないのであれば、それはまだ、テレホンセックスの初心者から中級者くらいの段階をさまよっているだけであって、まだ、上級者のテレホンセックスが垣間見ることになる深淵をのぞいておらず、その尻尾を捉えることが決してできない流動性のなかで溺死しかけたことがないということを白状するだけになるでしょう。

ある程度テレホンセックスに慣れてきて「自由自在にテレホンセックスをプレイできる」という自信がついてきた段階で突如あらわれる深淵と流動性の予測不可能な渦は、ようやく芽生えてきたばかりのテレホンセックスに対する自信を粉々に打ち砕くことになるでしょう。

このテレホンセックスの恐ろしさによって自信を粉々に打ち砕かれたあとに「これは面白い」と思ったり「なにくそ」といって次のテレホンセックスを目指そうとする場合、そのテレホンセックスプレイヤーのテレホンセックスはネクストステージに進むことになるでしょう。

ネクストステージに進むとはいっても、どれほどステージが進んだところで、それは絶対に完成には至らない果てしない道だという、途方もない目眩がするような現実だけがテレホンセックスプレイヤーには明らかになっていきます。

どこにもたどりつけないが、つねに最新のテレホンセックスをすることで成功するにせよ失敗にせよ前進しなければならない、というテレホンセックスの過酷さを引き受けられるテレホンセックスプレイヤーはそれほど多いとは言えませんが、ゼロではありません。

この過酷さを知りながらテレホンセックスを続けるためには、「テレホンセックスを続ける」ということそれ自体が目的化される必要があるでしょう。

それを目的化するためには「テレホンセックスを続ける」ということが「青春を生きる」ということであることを理解しなければならないかもしれません。

青春というと、十代のある特定の季節だけを指す言葉と思われがちですが、これは違います。青春というのは「完成しないものに向かってつねに最新であろうとして成功も失敗もなくそれをやりつづけられる人」にだけ与えられる言葉なのです。

ですから、年齢的に青春とされる時期にいながら青春を過ごしていない学生などがいるのは当然のことであり、その一方で、年齢的にはもはや青春という言葉からは遠いにも関わらずどう見ても「青春」と呼ぶしかない状態にいる人間も存在します。

冒頭に書いた「自分のテレホンセックスは完成した」という感想を持ち、自分のテレホンセックスをある一つの完成地点で終わらせてしまった人からは、「青春」と呼べる状態がすでに去ってしまっています。だから腐るのですし、衰弱していくのです。

それとは対照的に、「テレホンセックスは絶対に完成することはないが、完成しないことを知りながら不可能な完成を目指して、自分にできる最大限の力でテレホンセックスにとりくみ、昨日より今日、今日より明日のテレホンセックスにしてみせる」という気概とともに「テレホンセックスを続けている人」は、「テレホンセックスを通して青春の真っ只中にいる」ということができるでしょう。

年齢的な意味ではない精神的な意味での青春を生きるというのは、そう簡単なことではありません。しかし、初めからそういった精神的な青春を諦めるのであれば、その瞬間から「老化」が始まります。

テレホンセックスを通して青春を体現するか、テレホンセックスをある地点で結論づけて老化するかは、テレホンセックスプレイヤーの心構えと実践によって変わります。どちらを選ぶかは自由ですが、自分にとってよりよいテレホンセックスを目指したほうがよいのは確かでしょう。

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