テレホンセックスは性行為の不自然さを自覚的に行う

テレホンセックスは性行為の不自然さを自覚的に行う

テレホンセックスは性行為の不自然さを自覚的に行う

「セックスとテレホンセックスのどちらが好きか?」という質問に対して「テレホンセックス」と即答してみせるタイプのテレクラユーザーが相当のテレホンセックス中毒であることはまず間違いありません。

テレホンセックスよりもセックスが好きなテレクラユーザー、あるいは、テレホンセックス未経験者からすると、この即答には不気味ともいえる迫力を感じるかもしれません。

しかし、テレホンセックス特有の快楽を知っているテレクラユーザーであれば「まあ、そうなるよね」といった感じであしらわれる、実にありふれた返答ということになるでしょう。

テレホンセックス未経験者にとって、テレホンセックスというのは未知である上に不可解です。それは「おそろしさ」に転換されうるでしょう。

セックスが好きな人には、「声だけでやりとりをするテレホンセックスが、肉体同士をぶつけあってするセックスより気持ちいいはずがない」という先入観による決めつけも起こりがちです。

実際には、セックスとテレホンセックスのどちらがより快楽的であるかということは決めることができません。

言うまでもないことですが、セックスにはセックスの快楽があり、テレホンセックスにはテレホンセックスの快楽があるわけで、それは、好き嫌いはあっても、どちらがより性行為として優れているかと比較できるものではありません。

セックスが好きな人にとってはセックス以上に気持ちのいい性行為というものはなく、テレホンセックスが好きな人にとってはテレホンセックス以上に気持ちのいい性行為はないというだけの話なのですが、しかし、テレホンセックスというのは、セックスが好きな人にどうも馬鹿にされがちな性行為であります。

「テレホンセックスがセックスより気持ちいいはずがない」というような物言いがある一方で、「セックスがテレホンセックスより気持ちいいはずがない」というような言い方がされることはほとんどありません。

これは、「テレホンセックスの何が気持ちいいのか?」というような文章が書かれる必要があるのに対して、「セックスの何が気持ちいいのか?」という文章があまり書かれることがないことにも似ています。

もちろん、「セックスの何が気持ちいいのか?」という文章が書かれないわけではありません。

たとえば、オナニーのほうがセックスより好きであるとか、あるいは、セックスをしたことがないのに何故かやる気がしない人とか、オナニーにもセックスにも興味がなく性行為全般から遠ざかっている人、セックスレスであることを配偶者から責められた人などが、「一体、セックスの何がいいというのだろうか?」ということを考え始めるケースがまったくないわけではないからです。

とはいっても、やはり、テレホンセックスに比べて、セックスは「自然な行為」と感じられていて、これといった特別な考えや疑いなどにも晒されることなく実行され、欲されているのは事実でしょう。

テレホンセックスは、テレホンセックスをプレイしない人間からすると「不自然な行為」として扱われることになります。

「テレホンセックスの何が気持ちいいのか?」という文章は、「テレホンセックスの気持ちよさがいまいち理解できない人」と「テレホンセックスをそれほど必要としていない人」に向けて書かれることになる文章です。

しかし、テレホンセックスをプレイしている人間からすると、「テレホンセックスの何が気持ちいいのか?」という文章を読むことは、セックスを日常的に楽しんでいる人が「セックスの何が気持ちいいのか?」という文章を読むのと同じ感覚なのではないかと思います。

「テレホンセックスの何が気持ちいいのか?」という、テレホンセックスプレイヤーにとっては自明のことを改めて書く機会が訪れるたびに、「なぜ、セックスにおいてもこのような問いかけがなされないのか?セックスというものも、テレホンセックスのように問いなおされ、その快楽の根本的な部分を追求され、批判される必要があるのではないか?」ということを考えさせられます。

こういったことをセックスが好きな人間に向けて聞いたとしてもあまり意味がないのだし、野暮でもあるだろうということは、やる前からわかりきってはいます。

セックスだけが性行為ではなくセックスが決して自然な行為ではないということをテレホンセックスを通して知っているというだけでも十分であるのかもしれませんし、テレホンセックスは自覚的に性行為の不自然を体現しようとしているところに面白さがあるともいえるでしょう。

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