自分の言葉だけでする貧しいテレホンセックスの先を目指す

自分の言葉だけでする貧しいテレホンセックスの先を目指す

自分の言葉だけでする貧しいテレホンセックスの先を目指す

テレホンセックスをプレイしようとする人間は「自分だけの言葉」でテレホンセックスをしようと考えてしまう傾向にあります。

ところが、「自分だけの言葉」でテレホンセックスをするというのは、じつは、非常に難しく、また、貧しいテレホンセックスの原因にもなるということは、あまり知られてはいないことかもしれません。

独創性を求めるために「自分の言葉」だけにこだわるテレホンセックスが貧相になり、「自分以外の言葉」を可能な限り収集し、それを引用することで成立させるテレホンセックスの快楽のほうが豊穣で多様な快楽をテレホンセックスプレイヤーに与えてくれるというのは、皮肉な話ではあります。

もちろん、テレホンセックスをプレイする人間が、「才能」とやらを所有した詩的な人間であったならば、「自分の言葉」というものを紡ぎ出すことはあるいは可能なのかもしれません。

ですが、そういった「天才的苦悩」を通したインスピレーション主体のテレホンセックスというのは、誰もがプレイできるような類のものではありませんし、たとえ「天才」などというものがいるとしても、それは長続きしないものではないでしょうか。

テレホンセックスというのは、たえまない過去の引用によって織りなされるのがよい、というのが私の考えです。

しかし、テレホンセックスというものは、その場限りで消えていくもので、他者に知られるという契機をほぼ持つことがありません。

「過去を参照できないまま、歴史を積み上げることができなかった」というテレホンセックスに横たわる根本的かつ性格的な問題から、引用主体のテレホンセックスというプレイスタイルは現在のところあまり主流にはなっていません。

その結果、テレホンセックスというプレイは、「才能」などという頼りない前時代的な価値基準を土台にしながら、貧相な語彙力のなかで雀の涙ほどの「自分の言葉」を探って、その「自分の言葉」のみでプレイしなければならないという貧困を引き受けることを余儀なくされているわけです。

より快楽的なテレホンセックスのための解決すべき課題は明確なのですが、その課題を解決するための方法がまだ見いだされていないというのが、テレホンセックスを冷静に見つめたときの現状といったところでしょう。

テレホンセックスの引用元として考えられるのは、二つです。ひとつは「自分以外のテレホンセックス」であり、もうひとつは「テレホンセックス以外の言葉」です。

このふたつのテレホンセックスの引用元から言葉を引っ張ってきて自分のテレホンセックスのなかに組み込むことができれば、テレホンセックスは、才能などに保証されるのではないやり方で、より豊かな快楽を引き出すことができるのではないか、というのが私の考えです。

しかし、一体、どのようにして「自分以外のテレホンセックス」を取り入れたらいいのでしょうか。また「テレホンセックス以外の言葉」をテレホンセックスに活用するためにはどうしたらいいのでしょうか。

これは、それぞれ個別に考えるべきですし、テレホンセックスプレイヤーが一人ひとり自分で考えなければならない課題であるとも思われます。

ひとまず、私としては、安直ではありますが「自分以外のテレホンセックス」については、テレクラの「盗聴機能」を利用するというアイデアを提示することができます。

自分以外の誰かがテレホンセックスをプレイしているのを盗み聞きできる「盗聴機能」を活用し、他人同士のテレホンセックスを鑑賞し、自分に使えるべき言葉は盗むだけ盗んで、自分のテレホンセックスのなかに取り入れていくことは可能でしょう。

ただし、ここで「盗聴」することになるテレホンセックスが、結局のところは「才能」などというものを基軸にした貧しいテレホンセックスであることは考慮しなければなりません。

ですから、他人のテレホンセックスを「盗聴」するときは、そのテレホンセックスがいかに「オリジナルであろうとするがゆえに貧しいもの」であるかを見極めながら、批判的な耳を傾ける必要があるかもしれません。

他人のテレホンセックスを聞く、という行為は、引用元を探す目的だけでなく「テレホンセックスを聞いてしまったから、私はテレホンセックスをプレイするのだ」というような、テレホンセックスをプレイする動機それ自体を得る営みとしてもある程度は有効でしょう。

「このようなテレホンセックスを聞いてしまった以上、自分はそれを引き受けたうえで、こういったテレホンセックスをプレイしなければならなくなった」というようにして生まれるテレホンセックスが連続していけば、テレホンセックスという声と言葉の営みも、歴史として蓄積されていくことになるかもしれません。

もう一方の、「テレホンセックス以外の言葉」をテレホンセックスに取り入れるというルートですが、こちらに関しては、様々な方法があるでしょう。

まず考えられるのは、アダルトビデオなどの淫語責め系の作品を鑑賞したり、官能小説を読むなどの、「アダルトとして創作されたフィクション」に触れ、そのフィクションとして語られた言葉のなかから、テレホンセックスのための言葉として引用できるものをストックしていくというもの。

しかし、アダルトビデオや官能小説などからの引用では、近いうちに「頭打ち」になることが目に見えています。

というのも、それらのアダルトの領域のフィクションも、テレホンセックスと同様に、引用として言葉を紡ぐということを怠り、「独自性のある自分の言葉」などにたよって言葉を出すワンパターンの傾向があるからです。

テレホンセックスプレイヤーは、むしろ、アダルト領域以外の言葉を大量にストックし、それをいつでもテレホンセックスに活用できるように身構えたほうがいいのかもしれません。

それは、テレホンセックスという範疇からするととてもテレホンセックスとはいえないようなテレホンセックスを構成することになるかもしれません。

また、テレホンセックス以外の言葉をいくら引用しようとしても、それがテレホンセックスのためにはいつまでも引用できないということもあるでしょう。

ですが、それぞれの試行錯誤の末に、「自分の言葉」だけでプレイしていたのとはまるで違う、快楽の可能性の中心をつくようなテレホンセックスを産み落とすことをはじめから諦めてしまうのは怠惰であると言わざるをえません。

それぞれが格闘のすえに作り出した引用の織物としての新しいテレホンセックス。これがプレイされるとき、それを「盗聴」する別のテレホンセックスプレイヤーがいるならば、一つのテレホンセックスをきっかけにして、テレホンセックスというのは、過去のもの、他人のものを自由自在に引用できるコモンズとして、テレホンセックスプレイヤーたちの財産になるのではないでしょうか。

テレホンセックスを次のステージに進めることが可能なのは、現在のテレホンセックスにどこか不満を抱えながら、それでいてまだテレホンセックスを諦めることができないあなた自身のこれからのテレホンセックスだけなのです。

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