雨で鬱々とするときはテレホンセックスをすれば万事解決

雨で鬱々とするときはテレホンセックスをすれば万事解決

雨で鬱々とするときはテレホンセックスをすれば万事解決

土砂降りの雨が降る日はよほどの用事がない限りはどこにも出かける気がしないものだ。特にずっと欲しかったスニーカーを買ったばかりで足元を少しも濡らしたくない日などはなおさら。

しかし、そんなときにもし我慢できないすさまじい性欲に襲われたならば、しかも、オナニーでは満足できないような孤立した寂しさを感じたならば、一体どうすればいいのだろうか。

そして、こんな土砂降りの雨の日に限って性欲はますます強くなり、人恋しさは募るものなのである。

この状況下で、欲求不満の男性に残されている選択肢はテレホンセックスだけなのではないだろうか。

テレクラにコールしてテレホンセックスをプレイすれば、家から一歩も出ることなく他者の存在を耳元に感じながら射精することができる。セックスでもないオナニーでもないテレフォンセックスだけに可能なこと。

シコるための運動で毛穴という毛穴から滲み出す汗が全身を濡らし、寸止めの手淫によって漏れ出すカウパーが陰毛に湿気を与え、飛び散る精液のティッシュからはみでた滴が腹部から顔面までに点々とその飛沫を残すことはあるが、雨に濡れるということはない。

私は風俗嬢を検索していたスマートフォンの検索窓に「テレクラ」そして「テレホンセックス」という文字列を打ち込んで、テレクラ女性とテレホンセックスをすることに決めた。

無店舗型テレクラは地域密着だ。私は自分と同じ街に住んでいる顔も名前も知らないテレクラ女性を探した。

窓の外から聞こえてくるどしゃぶりの雨の音をぼんやりと聞きながら、自分と同様にほのかに胸のなかにともる陰鬱な感情を持てあまし、部屋のなかで孤立したドスケベテレクラ女性とコールが繋がることを私は期待した。

ザーッという音をたてる雨脚はますます強まり、やむけはいがない。薄暗い部屋のなかから眺めると窓の外は一面灰色である。一方で、耳元にはテレクラの音声ガイダンスの録音された声が私にどの番組で遊ぶかの選択を迫っている。

雨音と機械的な音声が静けさを強調するようですべての生物が死滅したかのようだった。一人きりだ、という実感が喉元までせりあがってきていた。

テレホンセックス専門の番組に繋がる番号をプッシュし、しばらくスマートフォンを耳にあてながら待つ。なかなか繋がらない。いや、テレクラを使っていればこのくらいの待機ともいえなような待ち時間はいつもあったはずなのだが、強い性欲と孤立の感覚からか、待っている時間がいつもより長く、耐えがたい。

もはやこれまでか、と思っていると、コール音が不意に中断され、「もし、し…」という声が、切れ切れに聞こえる。どうやら電波が悪いらしく、ぶつ切りにされたテレクラ女性の声をなんとかつなぎあわせて意味を汲み取ることがどうしてもできない。

そうこうしているうちに電話は切れた。テレホンセックスに到達する前にどころか、まともな挨拶もできないままに電波が途絶えた。私は下半身をまろびだしたままの情けない格好で、再び一人で雨音が支配する灰色の景色のなかに取り残される。

やはり、服を着替えて外出し、風俗に行くべきだろうか。それとも、孤立を孤立として受け入れ、誰にも見られていないことをいいことに声を荒げながらするオナニーに耽溺したほうがよいだろうか。テレホンセックスなど、高望みでしかなかったのではないか。

そんなことを考えながら次のコールを待っていると、こんどは「もしもし」と鮮明な声で自分に呼びかける声がする。私は、声の出し方を少しだけ見失って、他者に話しかける方法を思い出すように、どもりながら、返事を返す。

それから他愛もない日常会話。およそテレホンセックスには繋がらなそうな、天気や住んでいるところの話。やや間が多い会話と会話の隙間には、雨の音がすべりこんでくる。

私とテレクラ女性がどのくらいの距離のへだたりのなかにいるのかはわからなかった。もしかすると隣人なのかもしれないし、同じ県内でありながら車を出さないとたどりつけないような遠く、山奥にぽつねんと立つ一軒家なのかもしれない。

電話の声は耳元にささやきかける近さでありながら、決して触れ得ない断絶の隔たりもある。それぞれの孤絶した部屋のなかでテレクラを利用してテレホンセックスをしようとした私たち、私とテレクラ女の奇妙な距離感。

わずかな発話と沈黙が続いた電話回線のなかで、テレホンセックスは、無言のうちに開始されるセックスのようにして開始される。

陰茎をこすりあげる息遣い。女性器や乳房をみずからの手で愛撫する回線越しのテレクラ女性のもぞもぞとした気配。それにあわせて少しずつ漏れきこえはじめる喘ぎ声。過剰さがとりのぞかれたテレホンセックス。演劇的な発話がおさえられ、わずかに触知できる気配と呼吸だけでお互いの興奮を高めあっていく。

雨の音に包まれながらそれぞれが隔絶された部屋のなかで自分勝手にオナニーをしているだけのような時間であるはずなのに、電話が繋がっているという一点において、交接の感覚が広がっていく。そこにあるのは一人であるという意識と同程度の、顔も姿も知らない誰かと交わり合っているという矛盾した温かい手触り。

絶頂に達するということをお互いにわかりやすい言葉としては伝えないままにそれぞれの自慰行為は高まっていき、それは、抑制された声同士の、やりとりともいえないような響き合いを重ねて、土砂降りの雨よりもずっと激しくなっていた。

テレホンセックスをしながら数度の射精は、雨の音にかきけされて相手のテレクラ女性には気づかれなかったかもしれない。また、確かな性的興奮を示しながらも獣のような喘ぎ声をあげることは慎むという相手のテレクラ女性の絶頂に、私も逐一気づいたのではない。

絶頂をむかえたのかもしれない、というわずかなサインを受け取りながらも、それは、絶頂であるという決定的な判断を許さないよう声なのだ。

だが、テレホンセックスにおいて、射精や絶頂はそれほど重要ではない。重要なのは、回線越しに異性がいるということ、どこか自分の知らない場所に、顔も身体も見ることができない他者がいて、その他者が、なにか性的な衝動に突き動かされて身体を弄って快楽を得ようとしているというその存在感なのだ。

豪雨によって孤立させられた私とテレクラ女性は、テレクラをつかってテレホンセックスをしているあいだだけは一人ではなかった。この一人ではないという持続する感覚を得るためにテレホンセックスは有効だ。

テレホンセックスを終えるとまた一人の時間がやってくる。一人の時間はまた深まっていくだろう。だが、テレホンセックス中に感じた顔も姿も見えないテレクラ女性の気配や息遣いの余韻は、自分以外の存在がこの地上にいるという、夜をやり過ごし抗うためのかすかな力をあたえてくれる。

テレホンセックスの回線が途切れたあとも雨は降り続けその勢いを増していた。この雨の下で股間をまさぐり胸を揉みしだきながらテレクラを使ってテレホンセックスをしていた孤独な女がいたということを考えるだけで十分だった。雨は隔絶された私たちを包み込んでいた。私もテレクラ女もそれぞれに孤独ではあっても決して孤立してはいなかった。テレホンセックスがあればすべてがうまくいくように思われた。

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