テレホンセックスフレンドがいればタダマン的テレセができる

テレホンセックスフレンドがいればタダマン的テレセができる

テレホンセックスフレンドがいればタダマン的テレセができる

テレクラはセフレを探すのではなくて、テレホンセックスフレンドを探すという目的で利用している。

もちろん、テレクラでテレホンセックスフレンドを見つけ、テレクラの外側にテレクラ女性を連れ出して個人的な関係を築くのは、セフレを作るのと同じくらい難しい。

テレクラでテレホンセックスができて、かなり相性がいいと感じたテレクラ女性であっても、テレホンセックスが終わった途端にお礼をいいあってドライな感じで回線を切られる場合がほとんど。

自分も、テレフォンセックスによる射精の直後で思考回路がショートしてしまっているので、「あ、うん、はい、ありがと」とか言ってる間に、テレホンセックスフレンド候補への交渉をついつい忘れてしまう。

テレホンセックスの余韻がすごすぎて、賢者タイム的に「もういいや」ってなることもあるので、「もしよかったら、これからお互いの連絡先を交換して二回戦に突入しようや」などとがめつく食い下がる気力がないというのもある。

テレホンセックスフレンドがいれば最高だけれども、かといって、テレホンセックスフレンドができなかったからといって不満足になるわけでもない。なぜかというと、そこそこに気持ちいいテレホンセックスをしてしまっているから。

テレホンセックスフレンドの利点は、やっぱり、テレホンセックス代がかなり浮くということ。テレホンセックスフレンドができると、関係がきれるまでは正直テレクラのことは忘れてしまう。スカイプやLINE電話なんかでタダテレセクできてしまうので、テレクラには悪いけどこればっかりは仕方ない。

テレホンセックスフレンドの問題点は、やっぱり、セフレのときと同じで「相手のテレホンセックスに飽きてしまう」ということだ。なぜ相手のテレホンセックスにすぐに飽きてしまうのか。それは、お互いにテレホンセックスに対する真剣さが足りないからだ。

これは自分もそうなのだが、テレホンセックスの方法をたくさん持っていて、バリエーション豊かにテレホンセックスができる人というのは相当少ない。テレホンセックスというのが「少数の天才」と「多数の凡人たち」によって行われているということは、他の分野(野球とか)と同じなわけで。

テレホンセックスの天才。これはもう、テレホンセックスというのを芸術的な領域にまで高めてしまっているというタイプ。テレホンセックスというものの可能性を極限まで追求して、テレホンセックスで汲み取りうる快楽の切り口を、人が思いもよらぬ場所に見出して、すでにあるテレホンセックスのイメージを打破し、新しい性を次から次へと開発してしまうような連中がこれにあたる。

一方、自分もそうであるところの、テレホンセックスの凡人たち。これは、「ステレオタイプなテレホンセックス」の想像力の外側には決して出れないタイプで、テレクラを利用する男性はもちろんのこと、テレクラで繋がるテレクラ女性のほとんどがこのタイプ。

このタイプは、何百回テレホンセックスをしようとも、一回目のテレホンセックスを繰り返し、退屈な快楽の場所に淀みつづけることを余儀なくされる。自分がしているテレホンセックスがより快楽的になる、という糸口を掴むどころか、それを見出すこともできず、低い位置で満足しつづける。

よりよいテレホンセックスをという努力がなされないとき、テレホンセックスはマンネリ化が避けられないのだけれど、このマンネリを楽しむことができる、というのが凡人の才能でもある。何百回やっても進歩しないテレホンセックスを、惰性で楽しみ続けられるのは凡人の強み。

テレホンセックスに創意工夫を施せない凡人は、同じようなテレホンセックスを繰り返すことしかできない以上、そのマンネリを楽しむためには、相手をとっかえひっかえする必要がある。

テレホンセックスの天才であれば、変更するのはテレホンセックスの相手ではなくて、自分のテレホンセックスのプレイスタイル。テレホンセックスの方法が百あるならば、その百の方法を一人のテレクラ女性に行使すればいい。

なんなら百一個目の方法を編み出してさえみせるのがテレホンセックスの天才だ。そのうえ、テレホンセックスをする相手の変更もできるのだから、テレホンセックスの天才はテレホンセックスの凡人たちに比べて、段違いに多様で豊穣な快楽を得ることになる。

テレホンセックスの凡人である我々は、そんなテレホンセックスの天才に羨望と嫉妬を覚えることになるのだが、我々がどれほどテレホンセックスを重ねようとも、テレホンセックスの天才にはなれないのだから、自分の身の丈にあったテレホンセックスを粛々と受け入れるのみ。

努力をすれば凡人であってもテレホンセックスの天才の領域に足を引っ掛けることができるのでは、と思われるかもしれない。だが、困ったことに、テレホンセックスの天才は、自分がテレホンセックスの天才であることに甘んじることもないのだ。

テレホンセックスの天才というのは、その天性のテレホンセックスの才能に加えて、我々凡人がするであろう程度のテレホンセックスのための努力も惜しまない連中である。

我々テレホンセックスの凡人がなぜ凡人であるかというと、それはテレホンセックスの快楽を探求しようという精神が根本的に欠如しているからだ。その精神が欠如している人間たちに、どうしてテレホンセックスのための努力ができるだろうか。

テレホンセックスの天才というのは、あるいは、テレホンセックスのために不断の努力を続けられる人たちのことを言うのかもしれない。だから、テレホンセックスのために努力を惜しまない人というのは、それだけですでにテレホンセックスの天才であるといえる。そもそもテレホンセックスの凡人には、テレホンセックスのための努力という発想自体がないのだから。

テレホンセックスの凡人たちは、テレクラに電話をかけてテレクラ女性と繋がればそれだけで最高のテレホンセックスができると思っている。それで、次から次へとテレホンセックスの相手を変えて、同じようなテレホンセックスを繰り返す。そんなテレホンセックスが最高であるはずじゃないのに。

テレホンセックスの天才たちは、最高のテレホンセックスとは何かという思考をとめることがない。回線が繋がったこのテレクラ女性と最高のテレホンセックスをするのはどうしたらいいか、という思考をフル回転させ、加速させる。予定調和的テレホンセックスを否定しながら、快楽のありかを探る。

テレホンセックスの凡人たちは、テレホンセックスの快楽を当たり前のものだと思っている。回線が繋がれば快楽が得られて当然だと考えている。はっきりいって怠惰すぎる。

テレホンセックスフレンドを作るのがなぜ難しいか。その理由は、明確だ。テレホンセックスフレンドを作りたいといいながら、自分がテレホンセックスの凡人であるということを自覚していないからだ。

一体、だれがテレホンセックスの凡人とテレホンセックスフレンドになりたいと考えるだろうか。相手が入れ替わってもまるで問題がないようなありふれたステレオタイプなテレホンセックスしかプレイできないテレホンセックスの凡人のテレホンセックスなどたかが知れている。

これがテレホンセックスについてたえず考えつづけ、テレホンセックスに隠された可能性を開拓し、受け取る性的快楽をセックス以上にしようと日々考えているテレホンセックスの天才であれば、ぜひともテレホンセックスフレンドになりたいものだ。

もしテレホンセックスの天才とテレホンセックスフレンドになることができたならば、そのテレホンセックスフレンドと行うテレホンセックスによって、テレホンセックスの凡人には想像もつかないような刺激的なテレホンセックスライフが与えられることになるだろう。

だが、テレホンセックスの凡人が、テレホンセックスの天才とテレホンセックスフレンドになれる可能性はきわめて低いと言わざるをえない。

テレホンセックスの天才は、惹かれあう。テレホンセックスフレンドは、テレホンセックスの天才同士によって形成される関係である場合がほとんどだ。一方、テレホンセックスの凡人同士は、意外とテレホンセックスフレンドにならない。

テレホンセックスの凡人は、自分がテレホンセックスの凡人であることを棚に上げて、テレホンセックスの天才とテレホンセックスフレンドになれると勘違いしている。ここに、テレホンセックスの凡人の不幸がある。

テレホンセックスの凡人にとって、自分のテレホンセックスのパートナーは、自分と同程度のテレホンセックスができるテレホンセックスの凡人であるはずなのに、つねにテレホンセックスを追求してやまないテレホンセックスの天才が自分と釣り合う相手だと思いこんでいる。なんという愚かさだろうか!

テレホンセックスの凡人がテレホンセックスフレンドを作る方法。それはテレホンセックスの凡人であることを自覚し、自分と同程度の退屈なテレホンセックスしかできないパートナーを探すというものだ。

それが不満であるのであれば、テレホンセックスの天才であることを目指すしかない。そのテレホンセックスのための努力が、坂口安吾がいうところの「馬鹿者の雀」でしかないと知りつつ、テレホンセックスの天才を目指すこと。これが、テレホンセックスの凡人が、テレホンセックスの凡人ではないパートナーを見つけるための唯一の方法だ。

トンボや雀程度のテレホンセックスの才能しかないくせに、鷲や鷹のようなテレホンセックスをしようというのは、まったく馬鹿者の無謀でしかない。その無謀は間違いなく失敗するだろう。トンボや雀は、決して鷲や鷹にはなれないのだ。それでも、テレホンセックスフレンドをつくろうというのであれば、鷲や鷹になろうという精神を捨ててはならない。

それにしても、テレホンセックスの天才である鷲や鷹になることや、鷲や鷹とテレホンセックスフレンドになろうとしてテレホンセックスの才能を磨こうとするテレホンセックスの雀たちのチュンチュン鳴くような頼りない喘ぎ声の愛らしさたるや……

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