セックスを見つめ直すためにテレホンセックスに興じる

セックスを見つめ直すためにテレホンセックスに興じる

セックスを見つめ直すためにテレホンセックスに興じる

テレホンセックスで相性がよかったテレクラ女性と、プレイ終了後に出会いの交渉をしかけて、実際に出会い、ラブホテルでセックスをする、ということもテレクラの選択肢としてはあります。

テレホンセックスはセックスのまえの前戯にすぎない。テレホンセックスは出会いの布石であり、メインではない。このような考え方は確かに優勢であり、私もまた、それを全面的に否定するものではありません。

ですが、私個人としては、テレホンセックスはセックスの前の前戯ではなく、テレホンセックスという本番なのであり、出会いのためのテレホンセックスではなく、テレホンセックスのためのテレホンセックスをする、という考えを持っております。

ああ、本当に素晴らしいテレホンセックスだった。そう感じたテレホンセックスのあとに、「もしよかったらお食事でも」といった流れで、テレホンセックスをプレイした回線上のパートナーに出会い交渉をしかけ、セックスまで流れ込んだことが、私にもあります。

そのときのセックスの、直前までのテレホンセックスと比較したさいの性行為の退屈さといいますか、ある種の違和感が、私のテレホンセックスに対する基本的なスタンスを決定的にしました。

そのテレクラ女性が、まったく魅力的ではなかったというわけではありません。そのテレクラ女性は、テレホンセックスをプレイしたあとの出会いの体験談としてよくいわれるような「会ってみたらがっかり」というような女性ではありませんでした。

むしろ、そのテレクラ女性は、テレホンセックスという場において素晴らしい性行為を成立させてくれたのですから、やはり、私にとっては非常に魅力的な女性でさえあったのです。回線越しで意気投合したように、出会ったあとの交流も和やかである、ホテルへの移動も実にスムーズでありました。

しかし、なぜでしょうか。性行為が始まった途端、私は「これは違うな」となったのです。それは、ありふれたセックスとしては「良かった」のです。ですが、「何かが違う」と、そう思ったのです。

この「何かが違う」は、私だけの感覚ではなく、相手のテレクラ女性も私と同様のことを感じていたようです。セックスを終えてからラブホテルを出たとき、二人のあいだに居心地の悪い沈黙が流れていたのを、いまも同じ沈鬱さとともに思い出します。

そのテレクラ女性とは、濃厚テレホンセックスをせずに、はじめから「出会い」をしていれば、まったく違うセックスになったのかもしれません。私たちは、朗らかな表情でラブホテルを出ることができたのかもしれませんし、セフレ関係を結びさえしたのかもしれません。

しかし、私たちはテレホンセックスをしてしまったのです。それも、極めて快楽的なテレホンセックスを。セックスというものの意味を書き換えてしまう可能性を持った恐ろしくも気持ち良い濃厚テレホンセックスというものを。

私自身、テレホンセックスからの出会いというものを経験するまで、テレホンセックスというものがセックスというものに対して与える影響というものがこれほどのものであるとは、考えてもいませんでした。

私が中途半端なテレホンセックスばかりを繰り返していたのであれば、私のセックスに対する感覚というものは少しも揺らがされることがなく、いまも呑気に膣内挿入を求めてテレクラを利用し、出会い交渉に成功した女性に、腰を激しく打ちつけていたのかもしれません。

しかし、テレホンセックスからの出会い交渉後のセックス以降、私はセックスというものに対する興味を全面的に失ってしまいました。膣内挿入という行為がじつに単調で、豊かではないということが「体感的」にわかってしまったのです。

セックスに失望した日の帰り道、つぎつぎに思い出されたのは、割り切り女性といわれる女性たちに金銭を支払ってした味気ない即物的なセックスの数々でした。そこには肉体の接触だけがあり、精神的な交わりというものがまるでありません。

テレホンセックス後にセックスをしたテレクラ女性とは、即物的セックスをしたのではありません。テレホンセックスという精神的交感によって成立する性行為を経たあと、お互いを慮りながらのセックスであったと、それぞれに感じていました。

それでもなお、肉体を通したセックスにおいて漏れ落ちるものの多さ、挿入を主軸にした性行為の粗雑な快楽について、痛感せざるをえなかったのです。

割り切り女性とのセックスは、このテレクラ女性との間にあったわずかな精神的交感すらありませんでした。そのセックスは、ただ挿れて射精するだけというセックスは、長い間自分にとって違和感に満ちたものであり、「私は本当にこんなことが好きなのだろうか」という疑いが消えたことはありませんでした。

テレホンセックスというのは、「挿入しました。はい、射精しました、終わり」というようには進行しません。お互いの脳の快楽中枢を声と言葉で刺激しあい、「決して挿入ができない」という縛りのなかで絶頂を目指すプレイです。

挿入なしでの射精や絶頂。それも、精神的な交わりがあり、距離を隔てながら相手のことが身近に感じられる。このテレホンセックス特有の快楽を通過したあと、それまで疑いのプールにつけられていた「セックス」というものの価値が揺さぶられるのは当然のことではないでしょうか。

セックスをしているとき、男女の交わりのなかで何が大事なのか、ということをセックスをしながら見失っていたのではないか、というのが私の考えです。そして、テレホンセックスというのは、そのセックスによって当たり前のようにされながら忘れ去られていた最も重要なものを取り戻す営みなのだろう、と私には感じられました。

ですから、いま揺さぶられ、全面的に考え方を改めさせられたのは「テレホンセックス以前のセックス」なのです。つまり、「テレホンセックス以降のセックス」というのが、テレホンセックスをプレイしながら、私には見いだせるはずなのです。

いまは、その「テレホンセックス以降のセックス」というもののヴィジョンが朧げにしか見えません。性器の接触や単純な挿入、アダルトビデオの再現でしかないピストン運動と射精というものにとらわれたセックスの壁は厚く、テレホンセックスの精神的交感を通してもまだその穴を穿つ糸口を見つけるのが難しい段階にあります。

しかし、私はいずれ、「テレホンセックス」を通して見つめ直された「セックス」というものに帰ってみたいと考えています。そして、「テレホンセックス以降のセックス」というものをプレイできる自分が見いだせたならば、また、あの日、テレホンセックスから出会い交渉をしてお互いに気まずくなったテレクラ女性に性交渉をしかけてみようかと考えているのです。万に一つ、コールが繋がれば、ですが……。

私がテレクラにコールしまくり、テレホンセックスを執拗にプレイしているのは、いずれセックスに戻り、テレホンセックスもセックスも同様に快楽的に楽しめる地点に立つことを求めているからなのでしょう。

最高のセックスのために、まずは最高のテレホンセックスをしなければならない。最高のテレホンセックスというものが、旧来のセックスというものを粉砕するものであっても、その粉砕された地点から、真の快楽を孕んだセックスというものが立ち上がってくるはずだ。

私は、今日もそのように信じて、テレホンセックスをプレイするのです。

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