テレホンセックスの過剰な言葉と声によって性体験が刷新
テレホンセックスを興味本位からはじめてプレイしたときは、まずは「へー、こんな感じなのか」くらいの感覚でした。
受話器越しの日常会話からとつぜん人が変わったかのように淫乱女性へと変貌し、やや演劇じみた淫語を発し、けたたましい喘ぎ声を出しながら絶頂を迎えるテレクラ女性には正直なところ面食らいましたが、「なるほど、こういうものなのか」とすんなり受け入れて、それを楽しんでいる自分がいたのは事実。
はじめてのテレホンセックスにおいて、私は、じつはペニスをいじりはしませんでした。射精もしていません。
なんというか、あまりにも不自然なこと(この世に不自然じゃないことなんてないですけど)が展開されていて、はじめは、性的に興奮して勃起するというよりも、笑ってしまいたくなるような状態に陥っていたからです。
普段のセックスにおいて、多言を弄するということはあまりありません。むしろ、セックスにおいては言葉はそれほどいらないか、完全に不要であるのではないでしょうか。
ところが、テレホンセックスとなるとそうはいきません。テレホンセックスにおいて言葉はいらないなどといってそのまま黙り込んでしまったら、行為それ自体が終わってしまうのですから。
だから、テレホンセックスをプレイするテレクラ女性というのは、過剰なまでに言葉を吐き散らかすことになります。その過剰さが、はじめてテレホンセックスをプレイする私を驚かせ、その驚きによって笑いが生じたのです。
とはいえ、面白がってばかりはいられないというか、受話器越しのテレクラ女性はテレホンセックスに真剣ですので、私も相手を尊重して、真剣にテレホンセックスを取り組む必要もありました。
なぜなら、過剰なまでの言葉に対して私が反応を返さなければ、そのときもまた、テレホンセックスという行為が終わってしまうからです。
テレクラ女性は、最初の方は自分の身体をさわっているということを詳細な実況で教えてくれます。触る部位は、乳首や乳房などの胸部周辺のパーツや、クリトリスか膣中などの女性器であり、詳細な実況とはいってもそのバリエーションは決して豊かであるとはいえません。
胸や女性器からもたらされる快楽という少ない手札を使っていかにして自分の快楽を語るか、というその貧しい饒舌にこそ私は心を打たれたのかもしれません。そうでなければ、私はテレクラ女性の性的実況に対して応答せずにテレホンセックスを終わらせていたのではないかと思います。
なにぶんはじめてのことだらけで、ぎこちない対応にはなってしまったのですが、淫乱女性として変貌しほとんど演劇じみた言い回しでみずからの興奮を伝えてくれるテレクラ女性を無視して恥をかかせるわけにはいきません。
肩でスマートフォンを固定し、左手で乳房、右手で女性器をいじりまわしている、ということを息を荒げながら教えてくれるテレクラ女性に対して、ぜんぜん勃起はしていなかったのですが、自分もものすごくギンギンに勃起してしまっているしその勃起したペニスをしごく手を止めることができない、ということを、息も絶え絶えで今にもイッてしまいそうだ、という雰囲気を醸成させながら伝えます。
私がこのように、勃起もせず、陰茎もしごかずに、さも勃起した陰茎をしごきまくっている、というようなことを言葉にしているように、受話器越しのテレクラ女性も、もしかすると、乳房や女性器などには一切触れていない状態で、乳房や女性器を弄り回しているのだ、と言っているのだということも想像できました。
性的対話の応酬のなかで、テレクラ女性は次第に言葉が崩壊していき、喘ぎ声の比率が増していき、やがて、まともな言葉は一言も発さない獣じみた状態へと移行していきました。私も、彼女の獣化に歩調を揃えて、言葉の比率を減らして呼吸と喘ぎを過激化させていきます。
私は勃起もしないまま、プリミティブな叫びをあげつづけました。意味を持った言葉は、イク、イキそう、あ、やばい、すごい、出そう、などの射精にまつわる単純な言葉のみ。そのような言葉と喘ぎ声と荒い呼吸に集中するために熱を入れすぎるあまり、全身は汗だくになっていました。
受話器の向こう側のテレクラ女性はどうだったのでしょうか。やはり、私がまるで勃起しなかったように、少しも股間を濡らすことがないままに野獣のような喘ぎ声とリズミカルな呼吸音が混じり合った音を、彼女が身をおいている空間に響かせていたのでしょうか。それとも、彼女の声が伝えるように、彼女の股間は洪水のように愛液を溢れかえらせて潮を吹いていたのでしょうか。
それは、わかりません。私がまるで勃起もせず射精もしないままに、言葉の上で勃起し、射精の興奮で身悶えする声を伝えきったように、彼女の言葉と声を聴く限り、彼女もまた、言葉のうえで快楽を加速させ、絶頂に到達するけたたましい刺すような嬌声を私の耳元に届けてくれたのですから。
重要なのは、実際に声や言葉によって語られたことが行われたか、ということではなく、声と言葉のみで構成されるテレホンセックスが確かにプレイされ、完徹されたということでした。
そのことは、私に不思議な満足感を与えました。だから、私は勃起もせず射精もしなかったにもかかわらず、テレクラ女性に「すごくよかった」と伝えました。嘘偽りなく、それが本当に「よかった」からです。私は、声と言葉だけでテレホンセックスという空間が成立したことに、何か感銘のようなものを抱いていたのです。
絶頂直後の呼吸を整える、というような余韻までも音で表現しながら、息も絶え絶えに、テレクラ女性もまた「私もすごくよかった」といいました。きっと、彼女にとっても、すごくいいテレホンセックスだったのです。そのことは、彼女の貧しい饒舌とつきあってみた私にとって喜びとして感じられました。
それから、通話を切って、テレホンセックスという完全に終了すると、私の身体のなかに、ついさきほどまで自分が過ごしていた時間が、日常から断絶された特殊な時間であったという感覚がじわじわと広がってきました。
その特殊な時間は、テレホンセックスと名付けられていました。それは、テレホンセックスという声と言葉のみで構成される空間のなかでしか流れない時間でした。そして、私はようやく勃起しはじめたのです。
プレイ中はぴくりともしなかったペニスが、過ぎ去ったテレホンセックスの時間をおもって、むくむくと隆起し、私は陰茎をしごきあげることしかできませんでした。
テレホンセックスをしたテレクラ女性の名前は知らないし、もう彼女との回線が繋がることは二度とないのだろう、と思うと、陰茎をこすりあげる手の速度はいよいよはやく、激しいものになっていきました。
それから、私は無言のうちに全身を震わせながら大量射精をすることになりました。テレホンセックスという時間のなかではあれほど貧しく饒舌に言葉が出ていたのに、射精の瞬間はやはり言葉が出ませんでした。わずかなうめき声さえ出さず、私は沈黙のなかで精を放ちました。
射精後、しばらく放心してから、回線を切断したばかりのテレクラの電話番号の履歴を見つめました。私と繋がったあのテレクラ女性と繋がることはもう二度とないだろうという物悲しさを同時に感じながら。私は、もう一度テレクラに電話してテレホンセックスをしようか、いや、テレホンセックスをしなければならないという考えにとらわれていました。
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