命ある限りテレホンセックスに感謝し、テレホンセックスの快楽に溺れ続ける

命ある限りテレホンセックスに感謝し、テレホンセックスの快楽に溺れ続ける

命ある限りテレホンセックスに感謝し、テレホンセックスの快楽に溺れ続ける

テレホンセックスがしたい。というか、テレホンセックス以外のことは何もしたくない。だから、私はテレクラを使う。

もちろん、はじめはテレホンセックスをしている自分に後ろめたさがあったと思う。自分はテレホンセックスばかりしている。こんなにテレホンセックスばかりしていていいのだろうか。テレホンセックス以外に、何かやるべきことがあるのではないだろうか。

いま思うと、まったく馬鹿らしい悩みであり、後ろめたさである。私の答えはこうだ。お前はテレホンセックスだけをしろ。お前はテレホンセックスだけしていてもいい、というか、テレホンセックスをしろ。お前に、テレホンセックス以外に何かやるべきことなど何もない、だからテレホンセックスをしろ。

とはいえ、私がここまで明確に自分のテレホンセックスを肯定するようになるには、ある一つの事件を契機とするしかなかった。それは、交通事故であった。

私がテレホンセックスをしている自分に疑いを抱き、テレホンセックスをする後ろめたさに悩みながらも、いますぐテレホンセックスがしたいと考えて歩きスマホをしながら横断歩道を渡っているとき、私は信号無視してきた自動車にはねとばされた。私はそのまま意識を失ったらしい。

命に別状がある事故ではなかった。何週間も、何ヶ月も待つ必要はなかった。病院に運ばれたその日のうちに、私は病院のベッドのうえで意識を取り戻した。私の怪我は、奇跡的に、数ヶ月ほどで退院できる足の骨折だけで済んだようだった。

テレホンセックスをするためにテレホンセックス専門の無店舗型テレクラのトップページを開いていたスマートフォンは、自動車との衝突の際にぐしゃぐしゃに破壊されたようだった。

入院して一週間ほど経ったころ、病室で手持ち無沙汰にしている私を見かねたのもあったのだろう、見舞いにきた親族が破壊されたスマートフォンの代わりとなる新品のスマートフォンを病室に届けてくれた。

私はこの新しいスマートフォンを受け取ったとき、言いようのない温もりのようなものを感じた。新生、という言葉が脳裏をよぎった。そして、私は、退院したらこのスマートフォンで思いっきりテレホンセックスをするのだ、と決めた。そう決意したとき、もうテレホンセックスに対する後ろめたさは少しもなかった。

私は一命をとりとめたが、一歩間違えばすでにこの世にいなかったのかもしれないのである。人生は不意の不条理な一撃で唐突に終わる。人は永遠にテレホンセックスできるのではない。だから、生きている間にしかできないテレホンセックスは、生きているうちに楽しむことしかできない。

私は、病室のなかで、テレホンセックスのことだけを考えた。ときどき、テレクラにコールをかけて、「伝言ダイヤル」を再生し、淫語を録音しているテレクラ女性の声に耳を傾けて、同室の入院患者たちにバレないようにこっそりと自慰を行いさえしたが、前後させる手の動きによって振動するベッドの軋みを止めることはできなかったから、隠し通せた自信はない。

リハビリをこなし、松葉杖ありきで日常生活が送れるようになり、退院した。退院して最初に行ったのは、もちろん、テレホンセックスだ。もはや同室の入院患者たちに気兼ねすることなく、テレクラ女性を相手にして自由に「はしたない声」や「卑猥な声」をあげることができる!

テレホンセックスをすることは、私の命を祝福するということだった。テレホンセックスは、自動車との衝突で破壊されたスマートフォンのようにはならず、怪我はしたもののひとまずは生き延びることができた自分の生を実感する時間だった。

テレクラ女性の淫語にうながされる形で自分の口から思いもよらぬ変態的な言語が飛び出すとき、私は、テレホンセックスによって出会う新しい自分に驚く。

テレホンセックスをプレイしていなかったら、決して知らなかったであろう自分は、まだまだ私の身体のなかに隠されている。テレホンセックスは、テレホンセックスをプレイするテレクラ女性との性的交流を通して、私の性的可能性と無意識領域を明るみに出す。

私はテレホンセックスをプレイすることによって、どこまでもポジティブになっていった。「あなたは交通事故にあってからすごく明るくなったような気がする」と言われることも多い。「怪我をして入院すると衰弱して急に老け込んでしまうような人もいるのに、あなたはどんどん若返っている!」と言われることもある。

テレホンセックスなんですよ、と言いたくてウズウズする。私が交通事故を境にして人が変わったように底抜けに明るくなったのは、テレホンセックスのおかげなんです!そう叫びたい気持ちを抑えるので精一杯だった。

世の中の人は、かつての自分がテレホンセックスを後ろめたく思ったように、テレホンセックスというものにあまりいいイメージを抱いてはいないのだから、私は、自分がいくらテレホンセックスを愛していおり、テレホンセックスのために生きているといっても、それを声高に主張するわけにはいかなかった。

「どうしてでしょうね、自分でもわからないんですけど、生命力がみなぎってきちゃって仕方ないんですよ」といって微笑する私を見て、まさか、「彼はテレホンセックスをしているのだ。テレホンセックスのおかげで彼はあのようになったのだ」と思う人はいないだろう。だが、私は、テレホンセックスをすることによって、そうなったのだ!誰にもそう悟られないままに!

いまや、テレホンセックスは私のすべてだった。テレホンセックスを私のすべてにしてみせた、あの交通事故に、私は感謝してもしきれないほどなのだ。もちろん、それは命が助かった人間が見せる余裕でしかないのかもしれない。だが、私は生き延び、こうしてテレホンセックスに興じている。

迷いはなかった。後ろめたさもなかった。ただテレクラがあり、テレホンセックスをプレイする時間だけがあった。私はそれを欲した。テレクラで繋がった女性ととびっきりエロい会話をして、陰茎をしごきあげた。高まる喘ぎ声と女性器から滴る水音と、激しくなっていく手のストローク。精巣からせりあがってくる精液を何度も鈴口の手前で押しとどめて射精をコントロールしながら、冷静に、テレクラ女性を言葉で愛撫することもやめない。無限に引き伸ばされる快楽のなかで、テレホンセックスの時間のなかで、私はこれ以上ないほどに生を実感する。

テレホンセックスだけがあった。冥府へと片足をつっこむような射精を繰り返しながら、私は極度に高まったテレホンセックスの快楽のなかで私の生を生き抜いてみせるのだ。

私は、残された限りある自分の命を、テレホンセックスの快楽以外に使うつもりはまったくない。

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