セフレを作るつもりがテレホンセックスに夢中になってしまった

セフレを作るつもりがテレホンセックスに夢中になってしまった

セフレを作るつもりがテレホンセックスに夢中になってしまった

セフレを作ろうと思ってテレクラマックスを使っていたはずが、相手の女性を口説いているうちにいつのまにかテレホンセックスになってしまった、ということがありました。

もちろん、会話が二転三転してテレホンセックスに突入してしまったのですから、セックスはおろか、実際に出会うことさえもできなかったわけです。

しかし、セックスができなかったというのに、私のこの満足感は一体どういうことなのでしょうか?!そう、私は、テレホンセックスをすることによって、完全に「満たされてしまった」のです。

もし、仮にセックスができていたとして、セックスができたかもしれない私は、果たして、テレホンセックスを終えたばかりの今の私よりも満足していたでしょうか?そうは思えません。

テレクラマックスはテレホンセックス専門のテレクラではなく、男女問わず出会いを求めているテレクラユーザーのほうが多いテレクラです。ですから、テレホンセックス志望の女性ユーザーと回線が繋がる、というのはなかなか意外な出来事でした。

テレクラマックスを使っていてもう半年以上になるにも関わらず、私の電話回線はテレホンセックス志望の女性と一度も繋がらなかったのですから、よくよく考えるとこれは異常なことであるとさえ言えるかもしれません。

テレクラという場所がテレホンセックスで遊ぶためにも開かれている以上、テレホンセックスを目的にしたユーザーをめぐりあうということは、当然おこりうることであり、「意外な出来事」と感じた私は、「出会う」ことで頭がいっぱいであり、想像力が足りなかったのだといえるでしょう。

テレクラマックスを利用していてもっとも繋がりやすいのは、いわゆる割り切りと呼ばれる女性たちで、こういった女性たちは第一声から「条件」を提示してきます。

割り切り女性とする金額、場所、時間にまつわるドライなやり取りには、テレクラ遊びの醍醐味である会話の豊穣さを取り払って、ただただ男性器の女性器に対する挿入という目的を効率的に行おうという、殺伐とした侘しさだけがあります。

情緒のないセックスはいやだ!素人女性を口説いて出会いまでのプロセスを思いっきり楽しみたい!というタイプのテレクラユーザー(私はまさにこのタイプ)は、割り切り女性を回避して早々に通話を切り上げ、奇跡のような確率で繋がった素人女性を口説いていく必要があります。

しかし、割り切り女性を切り抜けたからといって、必ずしも、出会いに繋がる素人女性に繋がるというわけではありません。テレクラには、ただただ会話を聞いてほしいだけの旧世代テレクラユーザーの熟女なども利用していますから、延々と世間話や愚痴などを聞かされることもしばしばあるのです。

また、素人女性と繋がって口説く時間はとても楽しいのですが、出会ってから、「あれ、違うな」と愕然とさせられることもあります。

受話器越しに聞いた声のかわいらしさとはまるで印象が違う女性(あれは果たして女性、なのだろうか……?と疑ってしまうことさえある)が待ち合わせ場所に立っている、ということも往々にしてよくあるのがテレクラでもあるわけです。

交渉に成功して、出会ったはいいが、セックスがそれほど楽しくはなかった。これはテレクラを利用している限り避けられない失望であるわけです。

セフレを探すために。この大きな目的のために、私はそういった「失望」を何度も繰り返してきました。その「失望」の反復のなかで、心の奥底では「セックスって、そんなに楽しくもないし、気持ちよくもないのでは?」という疑念がよどみはじめ、溜まりはじめたよどみの堆積は、いよいよ水面の眼に見えて、においが届く水位にまで届こうとしていたのかもしれません。

テレホンセックス志望の女性との回線が繋がったのは、私がいよいよ出会いとセックスというものに対する「失望」に打ちのめされ、テレクラを使ってセフレを探し求めるということそれ自体に全面的に嫌気がさして憎悪しはじめる、その直前であったのかもしれません。

そうでなければ、出会いの可能性がまるでないと感じられるテレホンセックス志望の女性の、テレホンセックスへと私を強引に誘導しようとする言葉にじっくりと耳を傾け、また、そのテレホンセックスへの誘いに応え、耳を傾けるばかりではなく、テレホンセックスをともにプレイしようではないか、という態度で彼女の要求に対して積極的になる、という私の行動は起こり得なかったのではないでしょうか。

私は、これを機会にテレホンセックスに興じてみようと考えたのでしょう。テレクラを利用していてテレホンセックスを一度もプレイしたことがない自分が、ふと、中途半端な存在に感じられたのです。

テレホンセックスを一度もプレイしたことがないくせに「テレホンセックスなんて全然よくないよ。セックスが超気持ちいい。セックス最高。セフレは神。テレホンセックスとかクソでしょ」なんていうよりは、私は、ちゃんとテレホンセックスというものをプレイしたうえで「セックスが最高!」といえる自分になりたかったのです。

そして、テレホンセックスをプレイした結果、現在の私は、「私はいままで、セックスこそが最高だと信じて疑わなかったが、テレホンセックスというものをプレイしてしまった今、セックスというものを性行為の最上位に置くことはできなくなってしまった。私はもはやセックス最高とは言うことができない。最高という言葉は、テレホンセックスに与えられるべき言葉なのではないか」という意見に傾いている状態なのです。

「この、テレクラ変節漢め!」という誹りを受けるとしても、私はその言葉を否定することはできないでしょう。テレクラ変節漢と言われようとも、仕方ありません。私はテレホンセックスの快楽に抗うことができなかったのですから。

テレホンセックスにおける快楽の時間には、テレクラで「出会い」を求めているときに感じていた不満や、うんざりするような時間などが、すべて取り払われていました。

割り切り女性とする条件つきの殺伐とした即物的な挿入だけがあるセックスや、口説いたことが徒労に感じられるようながっかりするような出会いやまるで性欲が喚起されないセックスなどとはまるで比較にならないような、全身を痙攣させ、神経を焦がし、脳をとろけさせるような尋常ではない快楽が、テレホンセックスをプレイする私に対して与えられたのです。

そして、私は、どうして今までテレホンセックスをしなかったのだろう。テレクラという場所を使いながら、なぜテレホンセックスを回避しつづけてしまったのだろう、という後悔に襲われました。

濃厚なテレホンセックスに対するお礼を伝えたあと、回線を切ったあとも、快楽の余韻が残りつづけました。

もう出会いのためにテレクラを使うことはできません。テレホンセックスという体験について語る言葉を私は何一つ持っていません。言葉はテレホンセックスをとらえることができません。テレホンセックスは、テレホンセックスをプレイするその時間のなかで生成し、プレイ終了とともに消え去っていく時間なのです。

私はこれからテレホンセックス一本でいくでしょう。テレホンセックスに興じるばかりの私は、テレホンセックスをプレイしたことがない誰かと話すのが難しくなるでしょう。テレホンセックスにしか興味がない私は、テレホンセックス以外の話題で誰かと会話する興味をどんどん失っていくに違いありません。

そして、テレホンセックスの話は、きっと、テレホンセックスをプレイしているもの同士でもできやしないのです!テレホンセックスは、それをプレイした人間の一人一人の、共有不能な個別的な体験としてプレイされるものだから。

テレホンセックスプレイヤー同士の間で交わされるのは、テレホンセックスの快楽に打ちのめされているということをしめす沈黙だけでしょう。そして、その沈黙は、テレホンセックスを体験してしまった者同士であれば、どのような饒舌な会話よりも、雄弁な沈黙なのです。

出会いを楽しんでいたころの私には、「あなたは最近どうかしている。二言目にはテレホンセックスという。しかし、そのテレホンセックスの詳細となると、テレホンセックスの快楽についての説明など不可能だ、とさえぎり、体験したものにしかわからない、テレホンセックスはそういうものだから、と話を打ち切る。まったく、話にならないよ!そんなの神秘主義じゃないか!」と言われることになるでしょうが、もはや仕方ありません。

なぜなら、私はテレホンセックスというものを知ってしまったのですから。テレホンセックスの快楽を味わえる時間のなかにしか生きられなくなってしまったのですから。たった一回のテレホンセックスのなかで、私の眼の前に、自分が歩むべき道のすべてがひらかれたのですから。

私はテレホンセックス専門の番組に電話の番号を打ち込むことになるでしょう。テレホンセックスという孤独を通して、顔も身体もしらない女性と合一化するために。私はテレホンセックスを通して愛の完成を目指すのです。

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